2026年3月31日、iモードが静かに終わった。1999年2月22日の開始から27年。世界で初めて携帯電話をインターネットに繋いだサービスは、FOMAの停波と一緒に電源を落とした。
その4カ月後、2026年7月28日の正午。「dポイントマーケット」というサービスも役目を終えた。約600サイト、1,800万点の商品をdポイントで買えるショッピングモールだった。開始からわずか1年9カ月。ドコモが提供を終える理由として公式に述べたのは、たった一行である。
現在の事業環境に鑑み、提供を終了します。
27年続いたものと、1年9カ月で役目を終えたもの。この二つが同じ年に節目を迎えたことには、意味があると思う。
この2つが同じ年に並んだのを見たとき、私は正直、少し鳥肌が立ちました。
27年と1年9カ月。同じ会社が出した、両極端の結果です。そして私は、この差を分けているものが何なのかを知りたくて、この記事を書きはじめました。
結論を先に言ってしまうと、線は1本だけでした。しかもその線は、みなさんが自分の会社の事業を仕分けるときにも、そのまま使えます。順番に見ていきましょう。
事業稼働チャート
この図が、この記事で言いたいことのほぼ全部である。長く伸びている棒と、途中で切れている棒。この二種類を分けているものは何なのか。それを25年分の記録から読み解いていく。
すべての始まりは、iモードだった
1999年、この会社は世界で誰も見たことのないものを作った。携帯電話単体でインターネットに繋がり、銀行の残高照会ができ、着メロが買える。cHTMLという軽量な記述言語を採用したことでPCサイトの制作者がそのまま参入でき、コンテンツが爆発的に増えた。
2006年にはギネスが「世界最大のワイヤレスインターネットプロバイダ」と認定している。登録者4,568万人。
ここで注目したいのは、ドコモがこの収益を「コンテンツを作って」稼いだのではない、という点だ。
ドコモがやったのは、月々の通信料と一緒にコンテンツ代を回収する課金代行だった。手数料率は9%。4桁の暗証番号だけで決済が完了する仕組みを用意し、コンテンツそのものは外部の事業者に作らせた。
他社のサービスの代金を、自社の請求にまとめて回収してあげる仕組みのこと。携帯電話の世界では「キャリア決済」とも呼ばれます。利用者は暗証番号を入れるだけで買えるので離脱が減り、事業者は自分で決済の仕組みを作らずに済みます。そのかわり、回収した金額の数%を手数料として代行した側が受け取ります。
この構造が、この記事の最後まで効いてくる。
ここが本当に大事なところなので、しつこく書かせてください。
ドコモは、水を売ったのではありません。水道管を持っていたのです。
コンテンツを作ったのは他社です。ドコモがやったのは、そこを流れるお金の通り道を押さえることだけでした。作らずに、通す。この一点で、4,568万人ぶんの手数料が毎月入ってきます。
新規事業を考えるとき、私たちはつい「何を作るか」から始めてしまいます。でもこの会社が25年前に出した答えは、「誰かが作ったものが通る場所を、自分が持っているか」でした。この視点は、いまでもそのまま使えます。
さて、iモードが世界的な成功を収めたことで、この会社には二つのものが同時に生まれたのではないか、というのが最初の仮説である。
一つは自信だ。日本の通信会社が、世界で誰もやっていないサービスを発明した。この成功体験は、「自分たちは通信の外側でも勝てる」という確信を組織に残したはずである。
もう一つは焦りだ。携帯電話の契約数には天井がある。人口を超えることはできない。iモードが4,899万契約というピークを打ったのが2010年3月末で、そこから先は減る一方だった。通信という本業が構造的に頭打ちになることは、当事者が一番よく分かっていたはずだ。
自信と焦り。この二つが揃ったとき、企業は外へ出る。ドコモの25年は、ここから始まっている。
第一の航路 ── 世界へ(2000-2005)
最初に選んだ航路は、海外だった。論理は明快である。iモードという世界初のモデルを持っているのだから、これを世界に輸出すればいい。そのためには現地の通信会社を押さえる必要がある。だから買った。
2000年5月、オランダのKPNモバイルへ想定約5,000億円。同年、英国のHutchison 3G UKへ約20%。そして2001年1月、米国のAT&T Wirelessへ約98億ドル、日本円で約1兆1,000億円。
結果は、日本の企業史に残る規模の損失になった。
2002年3月期、ドコモは海外関連会社への投資について税引前で約1兆778億円の減損を計上する。内訳はAT&T Wirelessが6,645億円、KPNモバイルが3,205億円、Hutchison 3G UKが564億円。この年、ドコモは連結で当期純損失を計上している。翌2003年3月期にも3,242億円の持分法投資損失が追加される。
買った資産の価値が、買ったときの想定より大きく下がったときに、その差額を損失として決算に計上すること。現金が出ていくわけではありませんが、その年の利益は大きく削られます。「高く買いすぎたことを、帳簿の上で認める」手続きだと考えると分かりやすいです。
2004年6月18日の株主総会で、立川敬二社長(当時)はこう総括している。AT&T Wirelessは1兆2,000億円を投じて約7,000億円を回収、実質5,000億円の損失。ハチソン3G UKは1,800億円に対して回収は200億円強、1,600億円の損失。そのうえで「米国4大都市でW-CDMAサービスが開始されることで成果はあった」と述べた。
結果を正面から認めたうえで、それでも意味を探そうとする言葉です。
私はこの発言を、笑う気にはなれません。1兆円を失った当事者が、公の場で数字を並べて説明している。この記録が残っていること自体に価値があると、私は思っています。
新規事業の世界では、うまくいかなかった経緯はたいてい語られないまま消えます。誰も好きこのんで、自分がつまずいた記録を残しません。だから次の担当者はまた同じ場所でつまずく。この総括が20年以上たったいまも読めるおかげで、私たちは1兆円ぶんの学びをタダで受け取れます。ありがたい話です。
そして重要なのは、この会社が高い授業料を払って学んだのは「海外は難しい」ということではなかったのではないか、という点だ。
もっと本質的な教訓があったはずだ。iモードが成功したのは、ドコモが日本の通信インフラを独占的に握っていたからである。課金の水道管を持っていたから、その上に乗るコンテンツ経済圏が成立した。海外に出た瞬間、ドコモは水道管を持たないただの少数株主になった。
iモードの強さは「コンテンツ」ではなく「課金の仕組みを独占していたこと」にあった。だからモデルだけを輸出しても、それを支えていた土台までは輸出できなかった。
自社の成功事例を横展開するとき、「その成功を支えていた土台は、移した先にもあるか」を先に確かめてください。
ドコモが持っていけなかったのは、通信インフラの独占でした。同じことは社内でも起きます。ある部署でうまくいった仕組みを別の部署に持っていくとき、効いていたのが仕組みではなく、その部署だけが持っていた顧客名簿や決裁ルートだった、ということはよくあります。
移せるものと、移せないものを分ける。これだけで、横展開の成功率はかなり変わります。
この教訓が効いたのかどうかは分からない。ただ事実として、ドコモは2005年10月にKPNモバイルとの資本関係を解消し、海外への直接投資という航路から降りた。そして次に向かったのは、自分が水道管を握っている国内の、しかし通信ではない領域だった。
第二の航路 ── 生活へ(2011-2019)
2011年11月2日、ドコモは中期ビジョン2015を発表する。掲げたコンセプトは「モバイルを核とする総合サービス企業」。新事業領域の収益を約1兆円にするという目標だった。
同じ月、dマーケットが始まった。ここから約6年、ドコモは驚くべき密度で生活領域に事業を投入していく。
映像、音楽、アニメ、書籍、雑誌、ゲーム、教育、ショッピング、ファッション、旅行、料理、出前、写真、優待、カーシェア、ヘルスケア。買収も並行した。有機野菜宅配のらでぃっしゅぼーやを約49.8億円で子会社化し、タワーレコードの出資比率を50.3%に引き上げ、ABC Cooking Studioに51%出資した。放送事業にも出た。NOTTVである。
2015年1月、dマーケットの契約数は1,000万を突破する。数字だけ見れば、この戦略は機能しているように見えた。
だが、いま2026年から振り返ると、この時期に生まれた事業の多くは既に存在しない。NOTTVは2016年6月、4年3カ月で放送を終えた。らでぃっしゅぼーやは2018年1月、約49.8億円で買った会社を10億円で譲渡した。ABC Cooking Studioの株式は2019年3月に手放した。dグルメは2020年、dデリバリーは2021年、dトラベルは2022年、dエンジョイパスとdゲームは2023年に終わっている。
ここで、この記事の中心にある問いが立ち上がる。なぜ、あるものは続き、あるものは次へ渡されたのか。
NTTドコモ 新規事業の年表
- 1999.02iモード 開始世界で初めて携帯電話をインターネットに繋いだ。開始半年で100万契約次へ渡した
- 2000.05KPNモバイル(蘭)へ出資想定 約5,000億円。2005年に資本関係を解消次へ渡した
- 2001.01AT&T Wireless(米)へ出資約98億ドル、日本円で約1兆1,000億円。2004年に売却次へ渡した
- 2002.03海外投資の減損 約1兆778億円税引前。この年、連結で△1,162億円の当期純損失を計上した次へ渡した
- 2004.07おサイフケータイ 開始FeliCaを載せた非接触決済。22年続いているいま続いている
- 2011.11中期ビジョン2015 発表「モバイルを核とする総合サービス企業」。新事業領域で約1兆円を目標いま続いている
- 2011.11dマーケット 開始映像・音楽・書籍・アプリを束ねた入口。2015年1月に1,000万契約いま続いている
- 2012.03らでぃっしゅぼーやを子会社化有機野菜の宅配。買付総額 約49.8億円。2018年1月に10億円で譲渡次へ渡した
- 2012.04NOTTV 放送開始スマホ向け放送局。累積赤字は報道ベースで900〜1,000億円規模とされる次へ渡した
- 2012.07dアニメストア 開始月額のアニメ見放題。14年続いているいま続いている
- 2013.12dトラベル 開始旅行予約。2022年3月に役目を終えた次へ渡した
- 2014.06dマガジン 開始雑誌読み放題。12年続いているいま続いている
- 2015.05dグルメ 開始レシピと食のサービス。2020年3月に役目を終えた次へ渡した
- 2015.12dポイント 開始共通ポイントへ転換。会員基盤の中核になったいま続いている
- 2018.04d払い 開始コード決済。通信料金との合算払いに対応したいま続いている
- 2020.09NTTがドコモをTOB買付総額 約4兆2,500億円。同年12月に上場廃止・完全子会社化いま続いている
- 2021.03ahamo 開始オンライン専用プラン。若年層の流出に対する回答いま続いている
- 2022.03ドコモでんき 開始2025年10月に100万契約を突破いま続いている
- 2022.12dスマートバンク 開始三菱UFJ銀行と共同。2026年1月に役目を終えた次へ渡した
- 2024.01マネックス証券を連結子会社化計486億円。金融への本格参入いま続いている
- 2024.03オリックス・クレジットを子会社化792億円で66%を取得いま続いている
- 2024.10dポイントマーケット 開始約600サイト・1,800万点。2026年7月に1年9カ月で終了次へ渡した
- 2025.10住信SBIネット銀行を連結子会社化「d NEOBANK」として展開。銀行免許を手に入れたいま続いている
- 2026.03iモード/FOMA が終了1999年2月22日から27年1カ月次へ渡した
- 2026.07NTTドコモ・フィナンシャルグループ 設立2030年度に金融事業 売上収益1.2兆円を掲げるいま続いている
分岐 ── 続いたものと、次へ渡したもの
次へ渡した事業を並べてみる。旅行、出前、ショッピング、料理教室、有機野菜、放送、カーシェア、ゲーム。
残った事業も並べてみる。dポイント、d払い、dカード、おサイフケータイ、ドコモでんき、dアニメストア、dマガジン。
この二つのリストを見比べたとき、共通点が見えてくる。次へ渡したものは、すべて「ユーザーが、そのつど選ばなければならない」事業だった。
旅行を予約するとき、人はじゃらんや楽天トラベルと比べる。出前を頼むとき、出前館やUber Eatsと比べる。買い物をするとき、Amazonや楽天と比べる。つまりこれらの事業でドコモが勝つには、毎回、専業のトップ企業に競り勝つ必要があった。
一方、残ったものは違う。dポイントは、意識しなくても勝手に貯まる。d払いは、一度設定すればレジで出すだけになる。dカードは、年に一度も考えない。ドコモでんきは、契約したことすら忘れる。dアニメストアやdマガジンは月額課金で、解約という能動的な行動を取らない限り、勝手に続く。
ここが、この記事でいちばんお伝えしたかったところです。
残ったのは「毎月、自動で回るもの」。次へ渡したのは「毎回、選ばれる必要があるもの」。たったこれだけの線で、25年分の記録がきれいに二つに割れてしまいます。私はこれに気づいたとき、しばらく年表を見つめたまま動けませんでした。
そして、この線はドコモの本業と完全に一致しています。通信契約とは、一度結べば毎月自動で課金され、解約には手間がかかり、比較検討は数年に一度しか起きない商売です。この会社が本当に強かったのは「選ばれること」ではなく、「回線に紐づいて回り続けること」だったのではないでしょうか。
25年かけて数十の事業を試した結果、この会社は自分の得意な形だけを手元に残した。私にはそう見えます。
自分の企画を、いますぐ2つに分けてみてください。
①お客さんが毎回、他社と比べて選ぶ必要があるか。②一度設定したら、あとは自動で回るか。
①だとしたら、その領域の専業トップに毎回勝ち続ける覚悟が要ります。勝てる根拠があるなら進めてください。ただ「うちは会員数が多いから」は根拠になりません。ドコモは1億超の会員基盤を持っていても、dポイントマーケットで勝てませんでした。
②だとしたら、立ち上がりは地味でも、時間が味方します。社内で説明しにくいのは②のほうですが、10年後に残っているのもたぶん②です。
仮説 ── なぜ、金融だったのか
2020年、NTTが約4兆2,500億円という当時の国内最大のTOBでドコモを完全子会社化した。上場廃止によって、四半期ごとに市場へ説明する義務から解放される。腰を据えた投資ができる体制になった。
ある会社の株を「この価格で、この期間に、これだけ買います」と公表して、市場の外でまとめて買い集めること。経営権を取りにいくときに使われます。買われた会社の株が市場から無くなると上場廃止となり、四半期ごとの業績開示や株価への説明責任から解放されるかわりに、株式市場から資金を集めることはできなくなります。
そこから始まった買収は、驚くほど一方向を向いている。マネックス証券(2024年1月、計486億円)。オリックス・クレジット(2024年3月、792億円、66%)。住信SBIネット銀行(2025年10月、連結子会社化、「d NEOBANK」として展開)。並行してdカード PLATINUMを投入し、ドコモでんきを100万契約まで伸ばした。
そして2026年7月1日、NTTドコモ・フィナンシャルグループが発足した。2030年度に金融事業の売上収益1.2兆円という目標を掲げている。2025年度の実績が5,965億円だから、5年で約2倍にするという計画である。
なぜ金融なのか。表向きの説明は、通信の利益が落ちているからだ。実際、2025年度の営業利益は9,421億円と前年比7.7%減で、コンシューマ通信事業の利益はスマートライフ事業とほぼ並ぶところまで来ている。稼ぎ頭が入れ替わる寸前である。
だが、それは「なぜ何かをやらねばならないか」の説明であって、「なぜ金融か」の説明にはなっていない。
ここからは私の仮説です。証拠はありません。ただ、25年分を並べたうえで、いちばん筋が通ると思った読み方を書きます。
銀行、カード、決済、電力。これらはすべて「水道管」です。顧客は毎日それを使うけれど、毎日は選ばない。一度設定すれば自動で回る。そして手数料が薄く広く落ちてくる。
これ、何かに似ていませんか。iモードでドコモが握っていた課金代行の構造と、本質的に同じものです。
手数料率9%で他人のコンテンツから徴収していた仕組みを、今度は銀行免許とクレジットカードで、通信契約の外側にいる人からも徴収できるようにした。金融事業とは、iモード課金代行の完成形なのではないか。私にはそう見えています。
ドコモは25年かけて、コンテンツを作る側から、もう一度「課金の水道管」を持つ側へ帰ってきた。iモードが終わった2026年3月31日と、ドコモFGが発足した2026年7月1日が同じ年に並んでいるのは、私には偶然に見えません。
これから ── SyncMeという次の実験
とはいえ、この25年で唯一克服できていない弱点が残っている。「毎回、選ばれる」領域では勝てなかったという事実だ。
dポイントマーケットが1年9カ月で役目を終えたことは、その最新の記録である。600サイト・1,800万点を揃え、最大20%還元まで打ったが、それでも人はAmazonや楽天を開いた。ドコモの1億超の会員基盤をもってしても、能動的な選択の場では勝てなかった。
だからこそ、2026年夏に開始予定とされるAIエージェント「SyncMe(シンクミー)」が気になっている。通信・金融・エンタメの接点データを統合したエージェント型サービス、というのが現時点で公表されている姿だ。
もしこれが本当に機能するなら、それは「毎回選ぶ」という行為そのものを自動化する装置になる。ユーザーが比較検討していた部分をAIが代行するなら、ドコモが25年間勝てなかった土俵の形が変わる可能性がある。
自分が苦手な領域を克服するのではなく、その領域自体を「自動で回るもの」に作り変えにいく。もしそうだとしたら、実に一貫した戦い方だと思いませんか。
うまくいくかは分かりません。ただ、25年分の記録から導かれた打ち手として、この筋は通っています。私は次の観測を楽しみにしています。
担当者の視点で見ると
この25年から、明日の自分の仕事に持ち帰れることを3つにまとめる。
ひとつ。自社が本当に強いのは何かは、成功事例ではなく、次へ渡した事業の共通点に現れる。ドコモの強みは、iモードの成功からは読み取れない。読み取れるのは「コンテンツ事業が得意」という誤読のほうだ。本当の強みは、dトラベルもdグルメもdデリバリーも役目を終えたという事実の側にある。
ふたつ。作る側に回るか、通す側に回るかを決めておく。この会社が最も強かった局面は、いずれも自分では作らず、他人が作ったものが通る場所を押さえていたときだった。企画書を書く前に、自社がその市場で「作る側」なのか「通す側」なのかを一行で書いておくと、途中で迷わなくなる。
みっつ。1兆円を投じた海外投資にも、移せる教訓と移せない教訓がある。海外投資から学ぶべきは「海外は難しい」ではなく、「成功を支えていた土台まで一緒に持っていけるか」だった。うまくいかなかった案件の総括を読むときは、表面の結論ではなく、その一段下にある構造を見にいくほうがいい。