同じ会社の中に、作り方が2つある
新規事業の作り方は、大きく2つに分けられる。外から買ってくるか、自社が持っている技術を別の市場へ持っていくか。どちらが正しいという話ではないが、比べる機会はあまりない。ふつうは会社ごとに片方しかやらないからだ。
富士フイルムは、25年で両方をやった。だから同じ会社の中で、同じ年度の決算で、突き合わせられる。
買って作った柱が、ヘルスケアである。富山化学工業、和光純薬工業、SonoSite、日立の画像診断事業、Biogenのデンマーク拠点。並べればわかるとおり、ほぼ全部が買収でできている。
買わずに作った柱が、イメージングである。こちらに大きな買収はない。写真フィルムをつくるために磨いてきた光学とコーティングの技術を、フィルム以外の出口へ移し替えてできた事業だ。
2024年度(2025年3月期)の営業利益を見る。
- イメージング(買わなかった柱)── 1,392億円 利益率25.7%
- ヘルスケア(買って作った柱)── 776億円 利益率7.6%
- エレクトロニクス ── 773億円 利益率17.9%
- ビジネスイノベーション ── 746億円 利益率6.2%
売上ではヘルスケアが1兆226億円、イメージングが5,420億円で、規模は倍近い差がある。それでも営業利益は、買わなかった柱のほうが1.8倍大きい。
移し替えた先は、写真ではなかった
ここで言葉に気をつけたい。イメージングを「写真事業」と呼ぶと、多くの人は昔のフィルムを思い浮かべる。だが中身は違う。
2024年度のイメージング5,420億円の内訳は、コンシューマーイメージングが3,280億円、プロフェッショナルイメージングが2,140億円である。
- コンシューマーイメージング ── instax(チェキ)、Xシリーズのデジタルカメラ、交換レンズ、印画紙、プリント材料
- プロフェッショナルイメージング ── GFX・Xシリーズ、放送用・シネマ用レンズ、工業検査用レンズ、監視カメラ、プロジェクター、双眼鏡、ICカード
そして写真フィルムそのものは、いま決算上「その他」の区分にある。このセグメントには入っていない。
つまり「写真が生き残った」のではない。フィルムという製品は手放したうえで、その製造に使っていた技術だけを、放送局のカメラや、工場の検査装置や、その場で1枚出てくるチェキへ移した。残したのは事業ではなく、技術のほうだった。
事業稼働チャート
ここは、私が何度も読み返したところです。
「写真フィルムの会社が化粧品と医療へ」という語られ方が、あまりに広まりすぎました。教科書にも載っています。でも決算を開くと、いちばん利益を出しているのはそのどちらでもありません。
誤解しないでいただきたいのは、私はこの物語を否定したいわけではないということです。ただ、物語のわかりやすさで事業を選ぶと、判断を誤るということは、記録から言えると思っています。
他社が開発した薬を、代わりに開発・製造してあげる事業のこと。自社ブランドで売るのではなく、名前が表に出ない裏方に回ります。設備に巨額を要し、回収に10年単位かかるかわり、一度選ばれると長く続きます。
2000年をピークに、10分の1以下へ
前提を確かめておく。写真フィルムがどれだけ縮んだかについては、会社自身が公式サイトで数字を出している。
2000年をピークに下降に転じ、2010年にはピーク時の10分の1以下まで落ち込みました。
当時、写真感光材料は売上の約6割、利益の3分の2を占めていたとされる。会社の背骨がなくなるということだ。
2006年1月31日、富士フイルムはイメージング事業の構造改革を発表した。約5,000人の削減、構造改革費用は総額約1,650億円。この一日が、25年史の起点になる。
語られる成功譚と、実際の柱がずれている
富士フイルムの多角化といえば、まずアスタリフトの名前が挙がる。写真フィルムのコラーゲン技術と抗酸化技術を化粧品に転用したという話は、教科書に載るレベルで有名になった。
では、その事業はいまどれくらいの規模なのか。化粧品を含むライフサイエンス系の売上は、2024年度で1,098億円。全社の3.4%である。
同じヘルスケアの中を見ると、メディカルシステムが6,932億円、バイオCDMOが2,195億円。半導体材料は2,504億円ある。金額でいえば、語られてきた事業よりも、あまり語られない事業のほうがずっと大きい。
これは化粧品事業の価値を否定する話ではない。むしろ逆で、「転用の物語」として分かりやすかったから語り継がれた、ということだと思う。買収で手に入れた工場の話は、物語になりにくい。
新しい柱は、ほぼ全部買ってきた
記録を並べると、はっきりわかることがある。富士フイルムの新しい柱は、ほとんどが外から買ったものだ。
- 医療機器 ─ SonoSite(2011年、約776億円)、日立の画像診断事業(2019年、約1,790億円)、medwork(2019年)
- 医薬 ─ 富山化学工業(2008年、TOB買付予定額644億円)
- バイオ ─ Merckの受託製造網(2011年)、Cellular Dynamics(2015年、約370億円)、Biogenのデンマーク拠点(2019年、約990億円)、Irvine Scientific(2018年)
- 試薬 ─ 和光純薬工業(2016年、1,547億円)
- 半導体材料 ─ Arch Chemicals(2004年)、Entegris KMG(2023年、7億米ドル)
自社の技術を転用して立ち上げた事業もあるが、規模の大きい柱に限っていえば、買ってきたものが並ぶ。転用したのは技術というより、写真事業が生んだキャッシュと、大量生産をやりきる工場の運営能力だったのではないか。
買収額より、工場のほうが大きい
この会社を読み解くうえで、いちばん大事な数字はここだと思う。
M&Aの最大額は2019年の富士ゼロックス株25%取得で、約2,530億円。日立の画像診断事業が約1,790億円、和光純薬が1,547億円と続く。
一方、バイオCDMOへの投資はどうか。内閣府の協議会に富士フイルムが提出した資料には、「2011年に参入し、累計1兆円超を投資」と書かれている。米ノースカロライナ拠点だけで総額32億ドル。デンマークとあわせて、2028年には2023年比5倍の生産能力になる計画だ。
買収の4倍以上を、工場に入れている。この会社の賭けは、M&Aではなく設備投資だった。
未確認事業年表
- 2001.03富士ゼロックスを連結子会社化株式25%を追加取得して75%へ。ドキュメント事業を全社の柱にいま続いている
- 2004.11米Arch Chemicalsの半導体材料部門を買収写真の化学技術の受け皿として半導体材料へいま続いている
- 2006.01イメージング事業の構造改革を発表約5,000人の削減、構造改革費用は総額約1,650億円いま続いている
- 2006.10持株会社体制へ移行写真の会社から、事業ポートフォリオを経営する会社へいま続いている
- 2006化粧品事業へ参入フィルムのコラーゲン・抗酸化技術を肌へ転用いま続いている
- 2007アスタリフト 発売ナノ分散技術を使ったスキンケアブランドいま続いている
- 2008.03富山化学工業を子会社化TOB買付予定額644億円。低分子医薬へ本格参入いま続いている
- 2011.02米Merckのバイオ医薬受託製造網を買収バイオCDMOの起点。報道ベースで約4億9,000万ドルいま続いている
- 2011.12米SonoSiteを買収携帯型超音波診断装置。約776億円いま続いている
- 2014.02J-TECを子会社化自家培養表皮の国産ベンチャー。2021年に帝人へ移した次へ渡した
- 2015.03米Cellular Dynamicsを買収iPS細胞由来分化細胞のメーカー。約370億円いま続いている
- 2016.12和光純薬工業を買収試薬・臨床検査薬の国内最大手。1,547億円いま続いている
- 2019.03Biogenのデンマーク生産拠点を買収抗体医薬の大量生産設備を丸ごと取得。約990億円いま続いている
- 2019.11富士ゼロックスを完全子会社化米Xeroxから25%を約2,530億円で取得。57年の合弁を解消いま続いている
- 2019.12日立の画像診断関連事業を買収CT・MRIを取得し画像診断をフルライン化。約1,790億円いま続いている
- 2022.03放射性医薬品事業をペプチドリームへ譲渡305億円の一時金。診断用の薬を切り出した次へ渡した
- 2023.05米Entegrisの半導体ケミカル事業を買収7億米ドル。半導体材料を5,000億円規模へ育てる一手いま続いている
- 2024.04米ノースカロライナ拠点へ追加投資追加約1,800億円。累計3,800億円以上の抗体医薬工場いま続いている
- 2025.04チェキ 累計販売1億台を突破1998年発売のinstaxが、四半世紀かけて到達したいま続いている
- 2025.09米ノースカロライナ工場 開設北米最大級の抗体医薬受託生産拠点いま続いている
社内向けの説明資料には、金額の桁を並べたグラフを必ず1枚入れてください。
アスタリフトは教科書に載るほど有名ですが1,098億円、全社の3.4%です。一方、あまり語られないバイオCDMOには累計1兆円超が入っています。物語は人を動かしますが、桁は判断を変えます。
新規事業の予算を議論する場で、話題性の高い案件と金額の大きい案件が一致しないことは、よくあります。両方を1枚に並べるだけで、議論の質が変わります。
受託製造という、真逆の立ち位置
バイオCDMOが何をする事業かを、あらためて確認しておきたい。他社が開発した薬を、自社の工場で製造する。自分のブランドで売るのではなく、他社の製品を作る側に回る事業である。
写真フィルムは「フジカラー」という自社ブランドの最終消費財だった。街の写真屋に並び、消費者が名前で選んで買っていた。そこから25年かけてたどり着いたのが、名前が表に出ない受託製造だというのは、なかなかの転換である。
しかもこの投資は、回収に10年単位がかかる。ノースカロライナは2021年に発表され、2025年に稼働、追加分は2028年。富山の工場は2025年に竣工して2027年稼働の予定だ。
フィルム市場が数年で消えるのを実際に経験した会社が、10年先を見る投資を選んでいる。この対比は、記録として残しておく価値があると思う。
買って、育てて、切り出す
もうひとつ、この会社の型として挙げておきたいのは、買った事業を手放すことにも躊躇がない点だ。
2014年に子会社化したJ-TEC(再生医療)は、2021年に帝人へ移した。2008年に富山化学と一緒に手に入れた放射性医薬品事業は、2022年にペプチドリームへ譲渡した(一時金305億円)。2019年に日立から引き継いだ医療ITの一部は、2023年にPHCホールディングスへ移している。
買収と譲渡が、同じ経営のリズムの中にある。新規事業の一覧は、同時に「次へ渡した事業の一覧」でもある。
残ったのは、フィルムではなく「その隣」だった
最後にもう一度、冒頭の数字に戻る。
2025年4月、instax「チェキ」の累計販売台数が1億台を超えた。1998年の発売から四半世紀かけての到達である。しかも需要に生産が追いつかず、2025年12月には約50億円の追加投資が発表された。2022年以降の増産投資は累計で約115億円になる。
ここで注意したいのは、チェキもフィルムを使うが、2000年に消えた写真フィルムとは市場がまったく違うということだ。あちらは現像に出して数日待つものだった。こちらはその場で1枚出てきて、その場で誰かに渡すものである。同じ「フィルム」でも、売っている体験が別物になっている。
放送用レンズも工業検査用レンズも同じだ。写真フィルムをつくるために磨いてきた光学とコーティングの技術が、フィルムとは別の出口を見つけた。
25年の記録を通して読むと、この会社がやったのは「写真を残すこと」ではない。フィルムという製品は手放したうえで、その隣にあった技術を別の市場へ移し替えたということだ。そして移し替えた先が、いまいちばん利益を出している。
担当者の視点で見ると
新規事業の担当者として読むなら、この会社の25年からは3つ取り出せると思う。
ひとつ。買うほうが速いが、効いてくるのが早いとは限らない。ヘルスケアは25年かけて1兆円規模の売上になったが、営業利益では買わなかった柱に及んでいない。買収は事業の形を早く手に入れる手段であって、利益を早く手に入れる手段ではない。
ふたつ。手放すのは事業で、残すのは技術。この切り分けができるかどうかが分岐点になる。「写真フィルムを守る」と考えた瞬間に打ち手はなくなるが、「この技術の出口を替える」と考えれば、放送用レンズも検査用レンズもチェキも候補に入る。社内で守るべき対象を製品名で語っているうちは、たぶん出口が見つからない。
みっつ。時間の桁が、そもそも違う。2006年の構造改革から数えて、いま営業利益で1番になっている事業が形になるまでに、それだけかかっている。バイオCDMOにいたっては2011年参入で、北米工場の追加分の稼働が2028年である。3年で判断を求められる新規事業の現場に対して、この会社の記録はひとつの反証になっていると思う。
どれも、25年ぶんの記録を通しで並べないと見えてこないことばかりだった。単年の決算や、成功事例集からは出てこない。